前回の荒畑”145”潤一のお仕事インタビューの次は同じくプロスケーターの北島宗和が協力してくれた!
数年前より仲良くしてくれている、プロスケーターの北島宗和(僕はムネ君と呼んでいる)がこのインタビューの主旨を理解して協力してくれたのがとても嬉しかった
北島宗和の紹介
アクションスポーツ界全てに共通することだが、メインストリームとアンダーグラウンドががある
メインストリームは大会、雑誌、TVなど表に出て活躍する
アンダーグラウンドは大会にはあまり出ないが雑誌、ビデオなどで活躍する
メインストリームが一番の目立つのは当たり前だがアンダーグラウンドで活躍しているアスリートがすっごく目立つ場合もよくある
アンダーグラウンドで活躍するアスリートが一番日の目を見るのがスケートボードだと僕は考える
そして、日本のスケートシーンでもビデオ、雑誌で活躍しているスケーターがいる
その一人が今回のインタビューに答えてくれた北島宗和だ
北島宗和と僕の関係
(北島宗和君を僕は宗くんと呼んでいるので宗くんと表記するね)
宗くんと僕はヨガを通じて出会った。彼は僕よりもガチンコにヨガをしていて
もろもろヨガに関する話を聞くのが楽しい
さらにとても落ち着きがあって、ゆったりとした雰囲気を持っている男だ
彼の運営しているブランドSun Dance Flowのキャッチコピーが『競争ではなく共創』とあるのは、とても宗くんらしくて僕は好きだ
そんな穏やかな人格だがスケートもうまい彼が今回インタビューに答えてくれた
Sun Dance Flowのショートクリップ
北島宗和のインタビュー
自己紹介とスケートでどんなことを成し遂げてきたか教えてください
北島宗和 " mune " 1977.06.28 生 現在31歳です。
スケボーは中学2年の時から始めて、気づいたら今はもう16年になりますが、最近はもっぱら趣味程度に続けてます。
高校生の時に(当時18歳)始めて日本のスケートvideo(FESN:SUBWAY)に出演させて頂きました。
僕は大会スケーターというより、videoで主にストリートで滑るタイプのスケーターで、
街にあるモノ、出会ったモノを使ってスケボーで表現して撮影…という事をずっとやってました。
その後、日本各地でデモやツアーに参加しvideoをリリース。当時のスポンサーは
ipath,satori,metropia,arktz でsatoriからは自分のシグネーチャーウィールを出す事が出来ました。
現在はB.P.Trading にお世話になりながら、ipathライダーで共に活動していた
高山仁、伊澤早穂と僕の3人で「SunDanceFlow」という板ブランドを運営してます。
今のスポンサーは自分達のブランド「SDF」のみです。
質問: 「SunDanceFlow」って板ブランドはどのような活動をしているの?
スケートデッキを作っているんだよね?ムネ君は具体的にどのようなことをしているの?(デザイン?出資?販売?)
SDFでは基本的にクリエイティブ全般を担当してます。ポストカード・web(製作中)・デッキのオペレーション等々。
デッキのデザインに関しては、イラストレーターのGENちゃん(LoveEAR)が手書きで仕上げたものを
データ変換、色指定などをしてアメリカの工場へ送るオペレーションを担当してます。
SDFの活動は、video・アパレル・デッキ販売などがありますが、主な活動はKids向けのスケートスクールですね。
今後は活動の幅を全国に拡大したいと考えてますが、現在は新横浜の日産スタジアムの協力を得て、毎月1回スタジアム内の「スケボー広場」で開催してます。親子でピクニック感覚で参加できる雰囲気ですので、ピンと来た方は是非遊びに来て下さい。
kidsスクール活動を始めるに至った背景に、日本のスケート業界はアメリカと比べとてもマーケットが小さく、
プロスケーターが活動し難い状況でした。アメリカはおよそ3人に1人がスケボーに乗るそうで、日本はおよそ1学校に3人位と言われてます。アメリカでは日本の野球やサッカーの等メジャースポーツの様に子供達が楽しむ手軽なスポーツとしてスケボーが身近にあり、それだけポピュラーなスポーツであればプロが活動する場面は自然と増えますよね。
そんな環境へ日本の業界を変えられないものかと生まれたのがkidsスクールでした。
kidsスクールを通して、スケートボードに触れるキッカケを作る事で、業界活性化に繋がるのではないかと考えた訳です。単純にプレイヤーが増えればそれだけプロスケーターが活動する場が増えてくる→お金を稼げるという方程式が成り立つのではないかと思います。かなり地道な活動ですが…
質問:現在は仕事をしていると思いますが、どのようなお仕事をしていますか? そして、いつごろから今のお仕事をやろうと考えていましたか?
現在はフリーのwebデザイナーとして生計を立ててます。
24歳の時にスケボーで大怪我(左肘の靭帯が切れました)したのをキッカケにwebの勉強を始めました。
質問: 怪我をしたときに何か勉強しようと思ったと思うんだけど、いろんなことを勉強できる中で、なぜWeb作りを勉強しようと思ったの?
そして、Webの勉強をしようと思いたってから、どのように勉強をしたの?学校に通ったの?独学?
webの仕事であれば自分がどこにいても仕事ができると考えたからです。
旅をしながら仕事ができるのではないか?と夢みて今もその方向を模索してます。
最初はデジタルハリウッド(通称:デジハリ)というwebの専門学校に通い始めました。
腕を吊るして勉強してる人は僕だけだったんで、かなり目立ってましたよ(笑
どうせ勉強するならと、全てのクラスを制覇して無知の状態から1年間みっちり勉強したのが今の自分を支えてます。
このインタビューの後半はこちらです
後半のインタビューはお仕事について、スケートから得たものなどについて深堀した内容を宗くんが話してくれました
お楽しめると思いますよ