このお仕事インタビューを始めた当初からインタビューを掲載したかったライダーの1人が今回のインタビューを受けてくれたJoe Richだ
今回、彼のインタビューができてとても嬉しいし、Joeもたくさん返事をしてくれたので、2回に分けて掲載をする
Joe Richの紹介
昔から人気者でカリスマ的存在のライダーである
世界のBMXシーンでMat Hoffman, Jay Mironのように大会を中心に大活躍するメインストリーム ライダーではなく
どちらかというと、ビデオ、雑誌で活躍するライダーだ
でも、すっごく人気があるJoe Richが行う技、行動には多くの注目が集まる
そんな人気者のJoeはもう1人のカリスマ人気者ライダーのTaj Mihelichと2人で自転車メーカーを立ち上げた。その会社がTerrible One。略してT1言ったりもしている
今回のインタビューではT1のことも書いている
■2007年にEtniesよりリリースされたビデオ”Grounded”でのJoe Richの映像
Joe Richと僕の関係
僕がJoeと始めてあったのは1995年の夏、オクラホマ州で開催された大会で出会った
僕はJoeと会えて嬉しかったし、前評判ではとてもフレンドリーな人と聞いていた
さらに、僕はラッキーなことに彼と会う前に彼が僕をビデオを通して知っていたため、すぐに仲良く慣れた
その後も大会、イベント、メールを通して会っていた。
Joe Richが素敵なのは、ちょっとしたことでも深いことを言うんだ
今回のインタビューでも彼らしいことをたくさん答えてくれている
是非とも彼のインタビューを何度でも読んでみてください
photo by: Jessica Hildreth
Joe Richのお仕事インタビュー
今までのアスリートのお仕事インタビューはアスリートの後に自分のビジネスを始めていたり、新たなお仕事領域を見つけてチャレンジしている人たちを紹介してきたが
今回はプロアスリートを卒業して、ピースフルなお父さんとなったライダーのインタビューだ
Ed Koenning(エド コーニング)の紹介と僕の関係
15年前にBMXのビデオマガジンが出たときからよくビデオで見かけていたライダーが何人かいる。
その中の1人にEd Koenning(エド コーニング)がいた。
彼は当時のトップライダーではないが、ビデオ、雑誌によく出てたライダーの1人だ
彼とは、僕が始めてアメリカの大会に出場しに行ったときに直接会い友達になってくれた
そして、15年後の今になり偶然Twitterでつながり、彼にインタビューのお願いをしたら快諾してくれた
Ed Koenningのコアのライディング スタイルはストリートだ
そんな彼のライディングが下の動画で見れる
■逆サイドのフィーブルグラインド
Ed Koenning(エド コーニング)のお仕事インタビュー
中学1年生のときから一緒にBMXに乗って遊んでいた友人がBMX・ピストのショップをオープンした
彼の実家の建物を建て直し、その1階をショップにしたんだ
ショップ名はDel Mar
ブログもあるので、よかったらチェックしてみてね
店長の中田と僕
そんな幼馴染がショップを開いたから、どんな思いがあるのかを聞いてみた
以下に軽いインタビューを掲載するね
BMXショップを自ら開くということ
プロスケーターでWebクリエーターの北島宗和のインタビュー前半に続く後半のインタビューです
怪我をきっかけにWebクリエーターになるべく勉強をしたところまでを前半でカバーしましたが
後半はもうちょっと突っ込んだ内容を宗くんが答えてくれた
宗くんの考え方、視点をかいま見ることができるんじゃないかな
お楽しみください
北島宗和のインタビュー後半
質問: 今までのお仕事の中で、『いい仕事した!』と思ったものはありますか?また、どのようなときにそう感じる?
まだまだ自分が100%納得がいく仕事ができたモノは残念ながらありません。
プロジェクトの進行にしても一人で進めるのがほとんどなので、スケジュールが押してしまったり、クオリティが悪くなってしまったり…と、まだまだスキル不足です。
今後のプロジェクトではチームで進めていきたいと考えてます。その方が確実に顧客にとって満足して頂けるモノ(納期・クオリティ)を提供できると思いますから。チーム編成についてはまだ模索中です…どなたかいませんか?
Sun Dance Flowのクルーたち、右から2番目が北島宗和
前回の荒畑”145”潤一のお仕事インタビューの次は同じくプロスケーターの北島宗和が協力してくれた!
数年前より仲良くしてくれている、プロスケーターの北島宗和(僕はムネ君と呼んでいる)がこのインタビューの主旨を理解して協力してくれたのがとても嬉しかった
北島宗和の紹介
アクションスポーツ界全てに共通することだが、メインストリームとアンダーグラウンドががある
メインストリームは大会、雑誌、TVなど表に出て活躍する
アンダーグラウンドは大会にはあまり出ないが雑誌、ビデオなどで活躍する
メインストリームが一番の目立つのは当たり前だがアンダーグラウンドで活躍しているアスリートがすっごく目立つ場合もよくある
アンダーグラウンドで活躍するアスリートが一番日の目を見るのがスケートボードだと僕は考える
そして、日本のスケートシーンでもビデオ、雑誌で活躍しているスケーターがいる
その一人が今回のインタビューに答えてくれた北島宗和だ
先日、お送りした、荒畑”145”潤一のインタビュー前編の続きを公開します
今までのお仕事インタビューの中で非常に濃い内容になっていると僕は思う
前編ではプロスケーターとしての145を中心に読み取れましたが
後編では、ビジネスマンとして145を中心に話が展開しています
内容もどんどん深くなっているので楽しめると思うよ
荒畑”145”潤一のインタビュー後編
質問: プロスケーターでいながらも、どうしてビジネスを始めようと思ったの?
Lesqueはプロスケーター伊藤慎一とフィルマーの朝田コウジ、森川司と共に出資し立ち上げたんだ。
日本のスケートシーンに変化をもたらせたくて100%スケーターが経営するスケーターの為の会社を興し、俺達スケーターがやっている会社でも食べていけるという証とリアルなスケートを世の中に発信したいと言う同じ気持ちが四人にあって一致団結しビジネスを始めたんだ。
もちろん自分自身の将来の事も考えた決断だしこれから育っていくスケーターの将来の為にも新しい動きが必要なんだ。
更に自分達の会社を持てば何かと物事を発信していくのに利点が多いのも会社を始めた理由だね。
それに俺はずっとスケートに携わって生きていきたいし仲間達もそう思っているんだ。
今までは海外のプロBMXライダーたちのインタビューを掲載してきたけど、ここで国内のアクションスポーツで長い間プロとして活躍し、今、新たなチャレンジをしているアスリート荒畑潤一にお仕事インタビューをしてみた
荒畑潤一通称”145”の紹介
95年に日本のプロクラスの大会で年間ランキング1位にそれから国内のスケートシーンで大活躍
145の活躍の場は大会、TV、雑誌、イベント、DVDなどと多岐に渡り
活躍の場は国内だけにとどまらず海外にもおよぶ
プロスケーターになるという自分の夢を実現させた、荒畑”145”潤一は数年前からスケートボードに乗るだけでなく、スケートボードを提供することも始めた。さらに07年にスケートカンパニー”Lesque”を立ち上げ、さらなるチャレンジをしている
彼のスケートの動画はこれ
荒畑”145”潤一と僕の関係
2003年ぐらい当時TV東京で放送されていた1080という番組に一緒に出演をした
番組ではライディングとトークがあり小日向しえちゃんの司会で和気藹々としたトークと熱いライディングをした
その後もショーで一緒にデモをしたりと会っていて、その都度いろいろ話したりしているんだ
今回もこのお仕事インタビューとうちでのホームパーティーに招待したら快諾してくれた。嬉しいね
では、引き続き145のお仕事インタビューを楽しんでね
今回でBMXライダーのお仕事インタビュー4回目だ
4回目にして歴史上世界の頂点に立つBMXライダーのMat Hoffmanのインタビューを紹介できるのは光栄だ
Mat Hoffmanのことを知らない人のために軽く紹介させてね
Mat Hoffmanの紹介
BMXライダーとしてのMat Hoffman
彼が作った技・優勝した大会は数知れない
14歳でExpertクラスで大会に出場し、優勝!!
それから雑誌によく出没していた
17歳でプロライダーになると同時に最初の大会で優勝してしまう
それから彼の快進撃が始まる
ビジネスマンとしてのMat
・92年に自転車メーカー:Hoffman Bikesを作る現在、Hoffman BikesはBMX業界の中でも最も大きな自転車メーカーへと成長した
・大会シリーズを作り運営
BSシリーズという大会を始め、後にX-GAMESのBMXを仕切ることになる
・91年にHoffman Promotionというショーのプロデューサーする会社を設立
HoffmanPromotionは後にHSAとなる
Mat Hoffmanと僕の関係
Mat Hoffmanと最初に会ったときにJay Mironとも初対面だった94年だ
その後、僕がアメリカに遠征に行き、彼の主催する大会に出場し、ちょくちょく会っていた
Matは嬉しいことに僕のことを覚えてくれていて、チョクチョク話、メールをしていた
彼と僕の大きな共通点はお互いが怪我をたくさんしていたことだ
アメリカはスポーツ医学が発達しているため、ヒザの靭帯に関する相談は以前Matにしていた
そんな彼に今回インタビューをお願いしたら快く答えてくれたことはとても嬉しいし、光栄なことだ
Mat Hoffmanの歴史と彼が成し遂げたことはここにあるよ
Mat Hoffman
少しずつ増えているBMXライダーのお仕事インタビューだけど
今回は前回と同様オーストラリア人ライダーでColony BikesのオーナーのClint Millerのインタビューです。
Clintと僕の関係
Clint Millerとは95年のオクラホマのBSコンテストにお互い参加している
実際に話すようになったのは、00年辺りに参戦していたAsian X-gamesで会ってからだ
Clintは前ブレーキを駆使したテクニカルなライディングを武器とした高度な技を安定的にするライダーだ
だからClintは大会で強いんだよね
そんな着実ライディングのClintは人としては温かいハートの持ち主で思いやりがある
僕は3年ばかりAsian X-gamesでのみ会っていた、七夕のような付き合いをClintとしていたが
Clintとはすごく仲良くなり、彼が日本に来たときには家に呼んで酒盛りをしたりもした
そんな彼が数年前か自転車メーカーを始めている。今回は彼の心の中を覗いてみよう
Jay Mironのお仕事インタビューに引き続き、世界で活躍するBMXプロライダーで一番の親友のColin Mackayがインタビューに答えてくれた
Colinと僕の出会いは1999年にX-GAMESの予選大会のX-Trialsで始めて会った
岡田”大将”一生と僕はX-GAMESに出場したく、お互いバラバラにアメリカのX-Trailsに参戦しにいった
大将は2つの大会に参戦、僕は1つ、1つ目の大会で大将とColinが出会う、この大会でColinはX-GAMESの出場権を得るんだけどね。2つ目の大会で僕も参戦!
Colinはオーストラリアから一人で来ていたためか、僕たちと一緒にいたんだ。
当時の彼はスポンサーは何もついていなかったが、99年のX-GAMESに出場するときには
スペシャライズドのスポンサーが付いていた。その後HUFFY、HAROなどのスポンサーを渡りプロライダーとして活躍していった
その後も、ColinとはWoodward、オーストラリア、日本、そして現在のGreenvilleの自宅などで会い続け、Colinと僕は一生付き合っていこうとしている仲になった。
Colinのことを知らない人のために彼がMTVで取材された映像を貼り付けておくね
今回、Colinはたくさん写真を送ってくれたから、写真と交えながらインタビューを楽しんでね